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キリスト教原理主義者の大学に普通の学生が入学してみたら・・・(後編)
問題:以下の文章のうち、正しいものを一つ選びなさい。

(1)進化論は科学的手法によって証明できる。

(2)科学は世界の真実について知ることのできる唯一の方法である。

(3)ノアの箱船は、様々な種類の恐竜を運べるほど大きかった。








正解は(3)。

なぜなら大洪水の後も人間と恐竜は共存していたので、当時の人間はなんらかの方法を見つけたに違いないから。


・・・なんの説明になってるのかわからない。

こんなテストが真面目に行われている大学というのがアメリカにはあります。

アメリカはヴァージニア州にあるリバティー大学。キリスト教原理主義者によるキリスト教原理主義者のための大学で、「バイブル・ブートキャンプ」という名前で呼ばれています。

そこにキリスト教原理主義者の振りをして、大学に潜り込むことにしたのがケヴィン・ルース(Kevin Roose)。そしてその顛末を書いたのが"Unlikely Desciple”という本です。


Unlikely Disciple


ということで、前回の続き

リバティー大学に編入を決めた彼ですが、信者のフリをするため、キリスト教原理主義者の家庭で育った友人に即席の特訓を受けた後、リバティー大学の寮生活を送ることになります。

彼は聖書学や生物学で、普通の大学ではありえないような授業の内容に目を白黒させながらもスパイ学生を続けます。

慣れない聖書の勉強に四苦八苦しながらも、生徒による集団祈祷会、聖書の勉強会、教会のコーラスグループなどに積極的に参加し、他の生徒たちとの交流を結んでいきます。

ケヴィンが紹介するリバティー大学での生活はどれも興味深いディティールで一杯です。

クリスチャンロックやクリスチャンラップと言った独特なポップカルチャーや、キリスト教フェミニストとの出会い、ゲイを「治す」カウンセラーとの対話、禁欲セッション、デイトナビーチで浮かれている人々への布教ツアーなどなど、読者は普通のアメリカ人でも一生知ることのないような世界を覗き見ることができます。

奇しくもケビンが在学中に、ヴァージニア工科大学銃乱射事件が起こり、その事件にリバティー大学の学生たちがどのように反応したかと言ったことも詳しく書かれています。

ここで紹介されるエピソードには、やっぱりちょっと理解できないことも多く、この大学の方針はどう考えてもおかしいんじゃないか、と思うこともあるのですが、ケヴィンはそれらをなるべく公平に、そしてそれが無理な場合でも、自分の目にバイアスがかかってることを承知した上で記述していきます。

「うわーやっぱりちょっとキリスト教原理主義者ってオカシイ!」ってな話が沢山ある一方で、ケヴィンが目にする光景の中には、当初予想していたものとは異なるものも出てきます。

まずケヴィンを驚かせた最大の点は、同性愛や中絶問題、最大公約数としてはかなり保守的な思想をもつものの、そこにいたのは普通の学生だということ。当然、勉強や恋に悩むこともあるし、自らの信仰心にすら疑問を持ったり、挫折することもあります。ケヴィンが出会うリバティー大学の生徒達は、一般の人たちが思い込んでいる「キリスト教原理主義者」というおおざっぱなグルーピングでは収まらない、もっと多面性をもった人々だということ。

例えば、学生のなかにも、キリスト教原理主義者の政治活動を必ずしも好意的に捕らえてない人たちが結構いることや、一般的なキリスト教原理主義者のイメージとは異なり、ゲイ差別でも人種差別でも、あまりに極端な差別論者は却って敬遠されていたりするのです。

リベラルな思想をもった人たちがそうであるように、彼らも黒白で分けられる存在ではなく、限りなくグラデーションに近い、もっと言えば色とりどりの個性や信条、人生を背負った人々だということにケヴィンは気付きます。

またケヴィンは、リバティー大学の学生達が自分に対して示す友情や、誠実さに心を打たれ、自らの「嘘」に罪悪感を感じながらも、本当の友情を育んでいきます。

その中でも、厳しい規則の多いリバティー大学の中においても反抗心を持った学生達と出会い、特に彼らとの親交を深めていきます。(彼らのする「悪いこと」のひとつが、寮の部屋でR指定の映画を見ることだったりするのが笑えますが)

そんな学生生活が進むうち、ケヴィンの内面にもある変化が見られるようになります。

編入を決めたとき、周囲の人々はケヴィンがキリスト教原理主義に「転向」もしくは「洗脳」されてしまうのではないかと酷く恐れていたのですが、ケヴィン自身は最後までキリスト教原理主義者の信じる教えを完全には受け入れることはありません。

ただし、リバティー大学と言うある意味非常に特殊な環境に身をおくことは、良くも悪くも次第に彼の世界観に影響を与え始めます。

その中でも最大の点は「祈る」という行為について。

詳しく書くとネタバレになるので止めますが、どちらかと言えば無神論者に近かったケヴィンが「祈り」という行為に自分なりの答えを見つけるあたりはよく書けていて、筆者よりも断然「祈り」とは程遠い私の眼からも鱗が落ちました。

・・・なんだかこう書いていると、重いテーマばかりな感じがするかもしれませんが、そんなことはありません。

著者は当時19歳だったそうですが、そのユーモアあふれる筆致で語られるエピソードにはつい声を出して笑ってしまうこともしばしば。

キリスト教原理主義者になりすまそうと、それ用の自己啓発本を購入・実践していたところ、却って他のクラスメイトから「あいつちょっと変じゃね?」とか思われてた、みたいな話から、こういう潜入モノには欠かせない、「正体がばれるんじゃないかというスリル」「禁じられた恋」なんてものまで出てきて、読者の興味を引っ張り続けます。上手いんだこれが。

さらになんと後半、ケビンはひょんなことから学生新聞の記者として、大学の創立者であるジェリー・ファルウェル(Jerry Falewell)との直接インタビューまで出来ることになります。何と言う運命のいたずらか、これがジェリー・ファルウェルの人生で最後の新聞インタビューとなりました。ちょっと出来過ぎな気もしますが、本当の話。

そこでケビンによって語られるジェリー・ファルウェルの人柄についても、前編でも紹介したようなエピソードからはあまり想像がつかないような面が見られて興味深いです。

そして何と言っても、本書のラスト、ブラウン大学に復学したケビンはリバティー大学に再訪し、友人たちに自らの正体を明かすのですが、そこの部分もドキドキ。
ケビンのことを同じキリスト教徒と思って一学期を過ごした、友人のリアクションというのも大変見ものです。

本自体が面白すぎて、なんだか内容を羅列しただけみたいになってしまいましたが、とにかく今年読んだノンフィクションの中では一番の出来。

この本が出版以来、色んな書評でも誉められているのが納得できます。なにより面白いのは、一般の読者だけではなく、キリスト教原理主義者からも結構好評ということ。こういうテーマを扱うと、普通は賛否両論になりそうなんですがね。上にも書きましたがケヴィンの執筆に対する真摯な態度が読者に伝わるのでしょう。

本書から私が学んだことはと言えば、キリスト教原理主義者が集まる大学の知られざる内情、ということ以外に、やはり人をその思想、信条、宗教、価値観と言ったもので簡単に判断してはいけないのだな、ということ。

なんという当たり前の結論。でもそれが正直なところです。

日常生活でも、○○を信じているから誰それは馬鹿だとか、××に反対するアイツとは付き合えない、そう結論づけて人間関係を処理していくことは簡単だし人生も楽ですが、それで失っている機会というのは沢山あるはず。

だいたい、自分も相手もそんなに簡単に変わるわけがないのだから、意見の対立や、考えの違いのみに目を向けたって良くて現状維持、悪けりゃ掴み合いか絶縁にしかならず、生産的ではありません。

そういった部分はなんとか脇に措いて、とりあえず話し合って、まずお互いのことを理解しようとする。そういうプロセスを踏むことが、これからはもっと大事になっていくのでしょう。それはアメリカなら当たり前だし、今後多様化が進む日本でも同じだと思います。

そこでいきなり話は変わりますが、最近twitterをやっていて思ったことを少し。

twitterをやってて、ちょっとしたつぶやきがきっかけでやり取りをするようになった人が、ある日突然、思想的、心情的に自分と正反対の人だったと知って驚くことがたまにあります。

もし彼らが最初からそういう考えの持ち主だったと知っていたら、きっとやりとりすらしなかったでしょうが、それを知る前にその人がどんな人か、どんな日々を送っているかということが(140字未満の積み重ねと言うと限られたスペースの中でですが)、私はもう知っていて、ある程度親しみを持ってたりするわけです。そうするとなんだか人を単純にラベリングしてしまうことが難しくなります。

政治でもなんでも、大きな違いがあることは分かっていながら、その人のことは切り捨てられない。もっと知りたいと思う。答えは出ないかもしれないけど、対話は続けていきたいと思う。

テーマもスケールも全然違いますが、ケヴィンが貴重な学生生活を使って経験したことというのは、いまやtwitterなどのネットでもその一部分を体験することができるのかも知れません。牽強付会ですかそうですか。

ケヴィン自身、実は自らの経験をもとにとあるプロジェクトをやっています。The Jonah Projectと言うのですが、興味があるかたは著者のサイトを見てみて下さい。

この本、まだ日本では出版されてないみたいですが、いつか翻訳されたら是非。もしくは英語でも良いという人がいたら、手にとって見てください。

ではまた。


余談1:
本書で気になったことの一つ。リバティー大学には極めて少数ですが、クリスチャン以外の学生もいます。一つはスポーツなどの奨学金を目的に入学したアメリカ人。あとはLiberty Wayという厳しい校則に期待する親に送り込まれた子供たち。

もうひとつは、よく分からないまままに留学してきた学生。

いや、こういう人がいるんですって。

ためしにちょっとググってみたら、日本からの留学でよく使われるサイトにも情報が載ってました。(太字強調は筆者)

引用:
1971年創立。バージニア州リンチバーグ郊外にあるキリスト教系私立大学。神の理解に努め、学生自らが世界に対する視野を広げることを大切にしている。全部で38の専攻分野があり、人気の分野は看護学、スポーツ経営学、教育学など。学生は教会での集会に出席することを義務付けられ、キャンパス内は禁酒・禁煙。大学ではビジネス、国際政治、スポーツ、教育などさまざまな分野の指導者らを呼んで定期的に講演会を開催しており、学生にとって貴重な機会となっている。キャンパスの中心はジェファソン式の荘厳な建物で、コンピュータやテクノロジー設備が充実している。アイススケート場、ビリヤード場、TVゲーム設置のレクリエーションルームなどもある。スポーツはクロスカントリー、ラクロス、テニス、サッカーなどが盛ん。


いやいやいやいや。もっと色々と大事な情報が抜けてる気が。この情報だけを鵜呑みにして留学したら、きっと仰天すると思うよ。

余談2:

ちなみに不謹慎ですが、本書で紹介されてるクリスチャンラップの一節が面白かったので紹介。

Tryin' to find purpose in life without Chirst
Is like findin' Wesley Snipes in the dark with no flashlight

駄訳:
キリストなしで人生の目的を見つけようなんてのは、
懐中電灯なしで暗闇に潜むウェズリー・スナイプスを見つけようとしてるようなもんだ

なぜウェズリー・スナイプス(笑)

余談3:

私はこの本をKindleで読んだのですが、Kindle版には特別付録として、リバティー大学のテストで出てくるような問題を集めた例題集というのがついてきます。正解数に応じてどれだけリバティー大学的に「正しい」キリスト教徒か自己採点できる仕組みになってます(笑)。
こういう特別付録なんてコンテンツも、今後電子書籍じゃメジャーになっていくのかもしれませんね。クジラの歌声が聞こえる?気のせいじゃないでしょうか。
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【2010/10/06 16:26】 | 読書関連 | トラックバック(1) | コメント(2) | page top↑
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