まぎらわしいタイトルの前回のエントリはこちら。
というわけで、サイン会の会場であるSeattle Mystery Bookshopに到着。 既にディーバーは長机の向こうに座り、既に10人程のファンが行列を作っていた。 レジでそそくさと新刊「The Broken Window」を購入し、娘を抱いた妻とともに列に並ぶ。 あっという間に私の番だ。 ![]() ディーバーは笑顔で迎えてくれる。 「ああ、またあったね。さっきはありがとう」 視線は心なしか妻のほうに向いてる気が。 いやだからディーバーさん、ここで愛読者ナンバーワンみたいな顔をしているのは偽者です。私が本当の愛読者ですってば。 そんな私の複雑な心境はさておき、妻に抱かれた娘に向かって、ディーバーが声をかける。 「やぁやぁ名前は何ていうんだい?僕はジェフだよ。こんにちは」 相変わらず良い人だ。 娘はせっかく声をかけてくれているディーバーを尻目に、ディーバーの横に詰まれたマイクル・コナリーの新刊を見ている。 「・・・なんだか僕のコンペティターのほうに興味があるみたいだね」 いやいや。すみません。 「よし。じゃあ、犬は好きかな?ほらほら」 ディーバーは"The Spleeping Doll"の裏表紙に写っている、自分の愛犬の写真を振り回して、娘の興味を惹こうとする。 ファンを増やすためには手段を選ばないプロ根性を見たような気がする。 ここまでのところ、娘と妻に良いところを奪われっぱなしの私。形勢を挽回しようと、事前に準備していた質問をぶつけてみる。 「Mr. ディーバー。この子にも近い将来本を読んであげようと思ってるんですが、あなたが子供の頃好きだった本で、何かお奨めはありますか?」 結局、娘をダシにしてるような気がするが、まあいいや。 ディーバーは私の質問に少し考えると、先ほどカフェで一緒だった、そして今はディーバーの隣に座ってる女性のほうを指差しながらいう。 「そうだねぇ。Make Way for Ducklings は子供の頃好きだったな。・・・でも、そういう話だったら彼女のほうが適任かもしれない」 どうやら彼女は編集者か何かのよう。彼女が妻に話しかける。 「どんな本がいいのかしら?」 言うまでもなく、私の興味はぶっちゃけディーバーと会話をすることだったので、プロの編集者からのアドバイスはそれほど必要としていない(←おい)。妻が編集者と話し始めるのに任せて、質問を変えてみる。 ちなみに"Make Way for Ducklings"は、日本でも「かもさん おとおり」というタイトルで有名。 ![]() 「えーと。じゃあ、絵本じゃなくて、あなたが少年時代の頃好きだった作家って誰でしょう?」 「好きだったのはイアン・フレミングとか、トールキン、ドイルとかかな・・・。そう言えば、僕が子供の頃、両親は教育上の理由で、特定の作家しか読むことを許してくれなかったんだ。ところがね、面白いのは映画については何を観ても良かったんだ(笑)。なんといっても60年代のころだからね。本なんかより、よっぽど教育上ふさわしくない映画を観ることができたよ(笑)」 「そうだ、日本の怪獣映画でとても面白かったものを覚えてるよ。『ロダン』というタイトルだった。ガジラみたいな奴なんだけど」 「『ロダン』・・・聞いたことないですね。どんな映画ですか?」 「うん。でっかい鳥みたいな奴でね。ビルなんかより大きんだけど、それが大暴れするんだ。」 「ひょっとして・・・『ラドン』ですか?」 ![]() 「あーうんうん。そうだったかもしれない」 その時はディーバーの記憶間違いかと思ったものの、後で調べてみるとあの『ラドン』、アメリカでは『ロダン』というタイトルだったこともあるようで、合ってましたね。大変失礼をば。 ![]() どうでもいいが、『ラドン』はあの世界的ホラー作家、スティーヴン・キングも名作"IT"の中で触れていたはず。そういえば、キングもディーバーも同じくらいの年齢。この年代のアメリカ人にとって、ひょっとしたら、とても強い印象を与えているのかもしれません。いつかゴジラみたいに、ハリウッドでリメイクされたりするのでしょうか。 その後、ディーバーは昨日、宿泊していたホテルの近くで寿司レストランに行ったらしく、そこが大変美味しかったと話題を振ってくれました。 そこの日本酒が高かったけど、大変美味しかったそうで。 「Mr. ディーバー、もし日本酒お好きなら、今度サイン会でいらっしゃるときにはプレゼントしますよ。来年もシアトルにいらっしゃいますよね?」 「サケが飲めるのかい?僕も行っていいかな?」 いきなり私の後ろにいた男性が話しかけてきた。あんた誰。いや良いんだ。会話に入りたい気持ちは良く分かるよ。 「あはは。今度来るのは、そうだねぇ。ノンシリーズ物の新作("The Bodies Left Behind ")が秋に出るから、ひょっとしたらシアトル近くで行われるブックフェスティバルには行くかもしれない。来年キャスリン・ダンスの続編が出るときには、間違いなくまた来ると思うよ」 その後、昨年サインを貰うことが出来なかった"The Sleeping Doll"と今回の新作、両方にサインをしてもらい(前回同様"Domo Arigato!"付き)、一緒に写真を撮ってもらいました。今年は娘も一緒に。 というわけで、私の年中行事(ってまだ二回目だけど)は終了。 事前の準備もむなしく、いまいち私の質問は空振り気味だったような気がする。残念。 果たして来年、もしくは今年の秋にまたディーバーに会えるかどうかは分かりませんが、次回も出来る限り努力するつもり。 そして今度こそ、一緒にトイレに行けるように頑張ろう。 ではまた。 スポンサーサイト
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まず最初に言っておかなければならないことが。
cyberbabeさん、遅くなって本当に御免なさい。 では本題。 いきなり憧れの有名人に出会ったとき、人の反応はさまざま。 ンキャー!と叫んで昏倒する人から、如才なく近づいて、一ファンとしての親愛の情を表明する人、物陰に隠れて生暖かい視線を送る人、はたまた「お前知り合いか?」といわんばかりに慣れ慣れしくする人。 さて私はどうだろう。 というわけで、いまさらシリーズ第二弾。6月にシアトルはダウンタウンで行われた、ジェフリー・ディーバーのサイン会に参加したことについて書く。 ジェフリー・ディーバーはアメリカのミステリ作家。ご存知ない方はこちらをご覧下さい。 四肢麻痺の犯罪学者リンカーン・ライムを主人公にしたシリーズの作者として有名で、私が原書でミステリを読み始めることのきっかっけになった作家の一人です。 ちなみに、2年前に"The Cold Moon"(訳題 ウォッチメイカー)が発売されたときのサイン会にも参加しました。(過去エントリはこちら。) 昨年、"The Sleeping Doll"が発売されたときには、シカゴでサイン会が行われたのですが、そのときは妻の卒業式が重なってしまい、泣く泣く諦めたました。 要するに、私にとっての憧れの有名人だと思って下さい。 というわけで、サイン会当日。 妻と娘、それに孫の顔(とついで私の卒業式)を見に来た両親とともに、シアトルのダウンタウンに到着。 ディーバーに何の思い入れのない家族はさておき、私一人なんだか興奮しています。 気持ち良い初夏の日差しの下、風に揺れる緑の葉のように、私の心臓はざわざわと波打ち、鼻息は荒め。足の裏がむずむず。 家族と交わす会話にも上の空、頭の中では、サイン会でディーバーと話そうと思う内容について、シミュレーション英作文教室が開催中。 これに近い気持ちはなんだろう。あれだ。絶対に授業で発言しようと決めた日のようだ。予想される流れの中で、何をどういう風に喋るか、そのために必要な言い回しは何か、あの単語って英語で何ていうんだっけ。仮想の会話がグルグルと。 瞳孔から入ってくるダウンタウンの景色は視神経あたりでシャットアウトされ、代わりの心象風景では2年前に訪れたサイン会の様子が繰り返し巻き戻され、一時停止され、再生されている。 大して歩いていないのに、ンフーンフーと鼻息が荒くなるのはきっと気のせい。最近運動不足だったからだな。 2年前の教訓から、サイン会自体はそれほど混まないことを知っているので、ゆとりをもって会場となるシアトルミステリーブックスの付近まで。 それでも30分ほど前には着いてしまった私達一行。近所のカフェでコーヒーを飲むことになった。 めっきり口数が少なくなってしまった私をわき目に、妻と両親の会話は弾む。 店内に入ってきたホームレスに、コーヒーとマフィンを買ってあげた男性を目撃して、アメリカ人のホスピタリティについてなど。 私はと言うと、引き続き英文綴り方教室ならびに心理的ウォームアップに余念がありません。 パソコンだったら画面はスクリーンセーバーなのに、ハードディスクが激しくカチャカチャ言ってるような感じ。大丈夫?ウィルス入って無い? うつろな眼差しのまま、ぼーっと店内を見回してみる。 と。 私達の座っているテーブルの向こう、男性が、女性と談笑しているのが目に入る。 なんだろう。凄く見覚えのある後姿。 その男性の顔は見えませんが、長身で細身。そして何よりあの印象的な髪型は。 うわ。ディーバーだ! サイン会に行く前に出くわすとは思ってもみなかった。 昔のRPGで言えば、セーブポイントの前にラスボスと遭遇するようなものではないか。 「俺の人生はクソゲー」という至言があるが、私の人生のゲームバランスもちょっと問題があるような気がする。 相変わらず会話に花を咲かせ続ける家族を尻目に、私の視線はディーバーの後姿に釘付け。 あの女性は誰だろう?エージェントか何かだろうか。それとも編集者。 じぃっと見つめる私の視線が何らかの影響を及ぼしたのか、いや多分サイン会の時間が近づいたからだが、ディーバーらしき男性と連れの女性は席を立つ。 振り返った姿をみると、少し髭をたくわえているが、やっぱりディーバーその人。 人は突然訪れた出来事に対して、以下に対処するかでその真価が分かると言う。 そして、ここでとった私の行動とは。 「見てみぬ振りをする」 チキン野郎と言わば言え。私はまだ予習が終わってないのだ。始業のベルが鳴ってないのだ。だから良いのだ。 戦略的撤退。そんな私の内向きな論理を邪魔するものはいない。いや、一人いた。 私のほかに、妻がディーバーの顔を知っている。 もし彼女がディーバーに気づいたら、きっと「あれ?あのひとディーバーじゃない?ちょっと話しかけてきなさいよほら」とか言うに違いない。 それは避けたい。いきなりは苦手なんだよう俺。 ディーバーは、連れの女性を先頭に、私達のテーブルの横を通り過ぎる。 息を詰め、身体を強張らせる私。 どうか妻が気づきませんように。 分からない人にはこの私の心理状況は全くもって理解不能だと思いますが、分かってくれとも言いません。 でも、人生は上手く出来ている。いや上手くない方に良く出来ている。 妻が不意に顔を向けた。 「あれ?あの人ディーバーじゃない?」 おう。 「なんだ?あの人がお前の好きな作家なのか?」 「あらあの人なの?」 「あうー」 それぞれにコメントをする父、母、娘。 うわあ気づかれた!動揺する私。 「・・・う。そうかもね。いや。そうですね。あのひとですそうそう」 そのままカフェを早足で店から出ようとするディーバー。ほっとする私。よかった。間に合った。て何が。 と、店を出るほぼ三秒前、突然立ち止まったディーバー。そして、連れの女性に一声掛けると、なんと踵を返してこちらに向かって来た。 そのままトイレに向かって一直線。 そのトイレの扉は、私達のテーブルの真横になる。 ディーバーはトイレのノブをガチャガチャと試すと、開かなかったらしく、そのままトイレが空くのを待ち始めた。 ここで追加の説明が必要だろう。 アメリカの、日本でも一部はそうだと思われるが、カフェやガソリンスタンドのトイレに入るときには、鍵を借りなければいけない時がある。 そのカフェも例外ではなく、トイレを使う場合には店員に言って鍵を貰わなければいけない仕組み。 ただ、今回の場合、問題がひとつ。 普通、鍵が必要なトイレの場合、扉に「使うときは、鍵を受け取ってからにしてね」というようなことが書いてあるか、トイレの使用状況が一目で分かるようになっている。 中から鍵がかかると、赤で「OCCUPIED」と出たりね。 なので、例えば私がカフェなりガソリンスタンドでトイレに入ろうとして、扉が「VACANT」となっているのに、扉が開かない場合は、鍵が壊れてるとか、扉を逆に開こうとしているのでないかぎり、店員に鍵を貰わなければいけない方式だと思って間違いない。 ところが、なぜかその店のトイレはちょっと違った。 店員から鍵を受け取らなければいけない方式なのに、見ただけでは空いてるかどうかも分からないのだ。 なんたる不親切。 読者をトリックにひっかけるのはお手の物のディーバーでも、まさかそんなトリックがあるとは気づかなかった模様。 トイレのドアが開かず、「鍵を受け取ってね」とも書いてない場合、「これは誰かが入ってるんだな」と思うのが当然。 私達のテーブルから1.5mのところ。 待ってても開かない扉を前に、ディーバーが立っている。 うわ。ピーンチ!ってなんで俺はこんなに動揺。 よく考えてみれば、ピーンチなのはある意味ディーバーのはずなのだが、そのときはそんなことまで頭が働かない。 予想通り、妻がこう言い出した。 「ねぇ。話しかけてみれば?」 「え。いいよ。トイレに入ろうとしてる人に声かけたくないし。」 本当の理由はそれだけでないが、今言って恥ずかしくないのはこれしかない。 「大丈夫だって。話しかけてみれば良いじゃない」 「だからいいって」 「なんで。良いじゃない?」 「いいったらいいのです。僕は現状に満足してるのです」 公園で子供が母親に「あの子達と遊んできなさい」と言われてイヤイヤをするが如く、恥ずかしさ60%、情けなさ30%を不機嫌さ10%でカバーしながらリアクションする私。 「なんだなんだ。恥ずかしいのか。」 妻だけでなく、追い討ちをかけてくる父。 「恥ずかしい」と言われて、「うん。恥ずかしいんだ」とは言えない。だって恥ずかしいじゃない。 「ねぇねぇ。ここのトイレって店員から鍵を受け取らなきゃいけないんじゃなかったっけ?」 なんか攻め方を変えてきた妻。 「そうですね」 「それとも誰か入ってた?あのトイレ」 「いや。さっき出てくの見たから、多分空いてると思うよ」 「じゃあ教えてあげなきゃ!ついでに、彼の大ファンで二年前にもサイン会に行ったこととか言えばいいじゃない!」 「え。いいって。いいってば。なんでトイレ待ってる人間にファンをアピールすんのよ」 なんだか泣きそうになってきた。 私が言われたくない台詞を、まるで私の脳みそを覗き込んで朗読してるのかのように、妻は的確に言ってのける。 「じゃあ私が言おうか?あなたが恥ずかしいなら」 「いや、やめなよ。やめようよ。そういうのは」 我ながら、30半ば過ぎた大人のリアクションとは思えない。 父が弱った鼠をもてあそぶ猫のような声で言う。 「へー!意外とシャイなんだなお前。俺だったら全然大丈夫だけどな。『よかったら御一緒しましょうか?』とか言っちゃうぞ。きっと」 何を言ってるんですかお父さん。 「まぁまぁ。恥ずかしいなら仕方がないじゃない。ねえ。」 とりなそうとしてくれる母の気遣いがまた恥ずかしく情けない。 一度「恥ずかしい」という袋小路に引きこもったら、そこから出ることは中々難しい。 自分の身内3人に、ジリジリと火で炙られてるような気分を味わいながら、ひたすら小声で「いいって。いいってば」と言い続ける私。 乳母車の中から、こちらを見つめる娘の視線までが、私を咎めてるような気がしてきた。 ジュウジュウと肉汁ならぬ冷や汗を流し続ける私に業を煮やしたのか、妻は不意に立ち上がると、ディーバーに近づくと話しかけた。 私には果てしなく遠く見えた距離を、たった3歩で詰めて。 「Mr.ディーバー。そこのトイレは店員に鍵を借りないと駄目みたいですよ」 一瞬驚いた様子で振り向いたディーバーに、妻は続ける。 「Mr. ディーバーですよね?実は私、二年前にサイン会でお会いしたんですよ」 あ。なんだなんだ。なんだその熱心なファンみたいな言い方は。俺に付き合って来ただけじゃないか。ディーバーの本も二冊くらいしか読んでないじゃないか。 ディーバーは笑顔で妻と握手をしてる。よく聞き取れないが、談笑すらしているではないか。 嫉妬が私の心をぐらぐらと煮え立たせる。 敗戦処理以下の行為と認識しながら、おずおずと妻の後ろに立つ私。 さも最初からいたような雰囲気で。負けられん。 いやもう負けてるんだけど。 「ミスターディーバー。お会いできて嬉しいです。私もファンです。」 「ああどうも。じゃあ後ほどまた」 トイレの鍵を手に入れ、扉の向こうに消えていったディーバーを見ながら、なんだかひどく惨めな気分な私がいた。 サイン会の様子については明日。 おいおい。>自分 |
長いようであっという間だった、妻の産休は昨日で終了。今日から妻は職場に復帰しました。
同時に、娘のデイケア(託児所)も始まりです。 なので、今日は朝から娘をアメリカ人の赤子の群れに放り込み、そのまま妻をオフィスまで送って、こちらもアメリカ人の群れに放り込んできました。 なんだか手配師になった気分。 ロシア系と思しき、エライ訛りの強い保育士に抱かれた娘。そして、それを見つめる妻の心細そうな顔が印象に残ってます。泣きそうなのは後者の方でした。どっちかと言えば。 とにかく、お蔭様で、この約5ヶ月近くの間、私が無職なのを良いことに、生まれたばかりの娘と親子三人、とてもとても濃密な時間を過ごすことができました。 日本に一時帰国していた際の数日間を除き、文字通り四六時中一緒というのは、何とも得がたい経験。 惜しむらくは、肝心の娘がこの期間のことを全然覚えてないだろうということ。まだホヤホヤですからね。脳みそが。 そして、睡眠不足が続いたせいか、私達の記憶すら曖昧で、残ってるのはアホみたいに撮ったデジカメの写真の束くらいでしょうか。 話は変わりますが、妻がシカゴに留学してからの2年間というものは、私達夫婦としての絆をとても強くしてくれました。 異国の地、身近で頼れる人は配偶者のみという経験は、私達夫婦の関係を「パートナー」から「戦友」とでも言うべきものに変化させた気がしてます。 ちょっと言い過ぎかもしれませんが。ええ。ノロケてます。 まぁ実際、海外に住むことで夫婦の関係と言うものは変化しがちで、幸い私の身近ではありませんが、人によっては海外駐在やら留学によって、配偶者が「戦友」どころか「仇敵」とか「障害物」になったりしてさあ大変、という話もちらほら聞いたことがありますので、そういう意味では私達夫婦はラッキーだったのでしょう。 そして今回の産休。 いまふと考えてみるに、私達夫婦の関係は、この5ヶ月間の間でまた変わったような気がします。 ただ「家族」とだけ言ってしまうと、2サイズくらい大きいジーパンを履いた気分です。ベルトが必要。 娘を中心に再構築されたその関係は、何と名づけてよいのやら。 ぱっと頭に浮かぶのは、「殿の寵愛をめぐって争う大奥のおんな達、みたいな関係」という比喩ですが、なんか余りハッピーな絵ではないので見なかったことにします。 とにかく、私はこれから地下活動の続きにはいります。 取り急ぎ。 ではまた。 |
ご無沙汰しております。
一昨日、シアトルの我が家に戻ってまいりました。 心配だった帰りのフライト、予想通り満席ではあったものの、娘は飛行時間の80%を熟睡して過ごしてくれたため、大変快適に過ごすことが出来ました。 良い娘を持ったものです。 唯一の誤算は、娘が妻の腕のなかでしか眠らなかったことで、哀れにも妻は飛行時間の80%の間、人一倍大きい娘を抱いていなければなりませんでした。 シアトル・タコマ空港が近づく頃には、妻の両手が鬱血して腐れ落ちるのではないかと心配していましたが、なんとかもったようで。良かった良かった。 お蔭様で、娘を抱えた妻の隣で、私はDSでドラクエなんかする余裕すらありました。良かった良かった。 娘を必死に抱きかかえる妻と、横でゲームやってる夫、傍から見たらヒドイ風景でしょうが、私が抱いちゃうと娘が泣いちゃうんだから仕方ありません。 まぁそんな心暖まる話はさておき。 シアトルに戻ってまず驚いたのは、その素晴らしく乾燥した空気。 目が痛い程の晴天なのに、日陰に入れば涼しくて、汗なんざまったくかきません。 日本に帰るまでは当たり前だと思っていたこの天候に、いまさらながら感謝したくなります。 唯一感謝したくないのは、私達が帰国している間にも、ガソリン代は順調に値上がりを続けていたようで、3ドル50セントそこそこだったのが、三週間で4ドル20セントになっていたこと。勘弁してくれ。 夫婦して若干時差ぼけが残っており、娘も変な時間に起きたり寝てたりしてますが、とりあえず皆元気です。 ではまた。 |
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