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アメリカの高校に日本マンガの主人公が入学!?・・・「MANGAMAN」の感想
今日は育児ネタではなく、昨年末に読んだ本のご紹介。

タイトルは「MANGAMAN」そのまま、マンガマンと読みます。

カバー



作者はヤングアダルト小説を書いているBarry Lyga、作画は数多くのグラフィックノベルでイラストを担当しているColleen Doranです。

まずはあらすじのご紹介。




アメリカのどこにでもありそうな町、Castleton。

そこに住むMelissaは典型的なアメリカの女子高生。クイーンにも選ばれた、誰もが羨む町一番の美人だが、突然スポーツマンの彼氏と別れたり、変なコスチューム集めに没頭したり、最近の奇行は親友にも呆れられている。

友人ともに参加したパーティーでは、すっかり酔っ払った元彼がよりを戻そうと寄ってくるが、彼女にそんな気はない。

なんとか元彼を振り放したMelissaに、親友が駆け寄ってきた。

「彼よ!本当に彼が来たの!」

彼とは誰か?

実は、最近この町はあるニュースでもちきりだった

それは、政府の実験によって偶然異次元からやってきたという少年がこの町にやってきており、近々彼らの通う学校に入学してくるかもしれないということ。

しかもその少年がいたというのは、日本マンガのような二次元の世界だと言う。

その彼が、突然パーティーに姿を現したのだ。

Ryoko Kiriyaというのがその少年の名前。Ryokoという名前だが立派な男の子だ。

そのあまりに現実離れした容姿に衝撃を受ける人々。

このときから、平凡だったMelissaの人生は大きく変化していくことになる。

果たしてRyokoは元の世界に戻ることができるのか?

RyokoとMelissaの恋の行方は?

そして異次元から襲来する触手モンスターの正体とは?




・・・という話なのですが、アメリカの高校に、日本のマンガキャラクターが入学してきたらどうなるか?というのをメインのアイデアにおきながら、学園ドタバタラブコメSF的なフォーマットを踏襲しつつストーリーが進みます。

意欲作というか、異色作というか、何とも不思議な味わいの作品になってます。

なんと言ってもMangamanこと主人公、Ryoko Kiriyaの造形が凄い。

彼が第一章のラストで初登場するシーンのインパクトが半端ないです。

こんな感じ。

Mangaman登場

なんじゃああこりゃあああ!

少女マンガの歴史には詳しくありませんが、70年代から80年代くらいの少女マンガを思い起こさせる造形です。てか、いまどき気の利いた中学生だってもう少しまともなイラストを描くような気が。

ただ、出落ちとしてはある意味最高のインパクト。

ちなみに1コマ目でアップになってる、インチキ着物を着てるのがMelissaです。この世界の美人の基準がこれだと思って下さい。どれだけRyokoの見た目が異様なものか想像できるかと思います。

このビジュアルだけでなく、このRyoko君、日本マンガの世界からやってきたということで、いろいろ特徴があります。

その代表的なものが、デフォルメ、漫符、効果線などがそのまま出現してしまうというもの。

言葉で説明すると面倒なので、画像を見てもらいましょう。

RyokoがMelissaに出会い、一目ぼれするシーンです。

一目ぼれ

はい、1コマ面の左でなんか大変なことになってるのは、上の画像のRyokoと同一人物です。

そしてこれはこのコミックの世界の中では「本当にそういう風に見えてる」ということになってます。

周囲の人が軽くパニックになってるのはそういうことですなんですね。

また、3コマ目では効果線が物質化して、床に散らばってるのが確認できます。

効果線を掃除させられるおじさん。

なんで俺がこんなこと・・・。

他にも戦闘シーンではドラゴンボール風(?)になったり、

ドラゴンボール風

ラブシーンではページが花で埋まったりと、彼が登場するところ周囲の人の現実感覚は揺さぶられっぱなし。これらのトンデモシーンを見るだけでも一見の価値はあると思います。

・・・ただし、全体を通したストーリの感想はと言うと、正直なところちょっと残念な出来。

というのも、肝心の日本のマンガから出てきた、という最大の特徴がストーリーとしてあまり効果的に使われてないためです。

つまり上で述べたような、Ryokoが日本マンガの世界の住人だから起こしてしまうドタバタ、というのがそれほどストーリー展開に寄与していません。

繰り返し行われる「物質化する効果線」というギャグも、本当にただのギャグとして消費されるだけです(しかもそれほど面白くない)。

想像を越える展開、というのがあまりなく、最終的には打ち切り漫画の最終回みたいな駆け足&予定調和のラストを向かえ「なんか幸せそうだから良いけど、いろいろ腑に落ちないぞ」という感想を読者に残して話は終了します。

いや、実は中盤に一瞬、凄く盛り上がるシーンがあります。

RyokoがMelissaに対して世界の秘密について教えるというもの。

作中、Ryokoはとある方法でMelissaが住んでいる現実世界もまた一つの漫画(グラフィックノベル)であると知らせます。

自分もフィクションの登場人物の一人であると知り、驚愕するMelissa。

もし、そこから彼らがフィクションの中の登場人物としての自覚を持って、メタフィクションについての話になったりしたら…どうですか?なんかワクワクしませんか?

しかし、残念ながらMelissaちゃんにはちょっと荷が重かったのか、はたまたページ数の都合だかしりませんが、「えええ!そうなの!びっくり!」くらいなもので、ほぼスルーして自分達の色恋に関心が戻ってしまいます。

うーむ。なんかもったいない。

作者の狙いというのを勝手に想像するに、多分日本のマンガうんぬんというのは本質ではなく、Ryoko Kiriyaという、どうしたって現実世界に馴染めことが出来ないキャラクターを使って、現実の周囲に馴染めていない十代の葛藤を描こうとしているのだろうな、というのは理解できます。

実はヒロインであるMelissaがまさに同じ葛藤を感じており、だからこそお互い惹かれるわけですし。

ただその場合、上で述べたような、中盤に出てくるメタフィクショナルな展開というのがどこまで必要だったかというのが疑問ですし、彼らが抱える悩みを解消するようなカタルシスというのも不十分だと思います。

作者が提示した風呂敷の広さを考えるに、この設定のきちんと活かすにはあと100Pくらいはボリュームが必要だったのではないかな、と思います。まぁこんなこと言っても仕方がありませんが。

あと作画を担当したColleen Doran、グラフィックノベルの世界では大変名の知れた人のようなのですが、この方の描く「ジャパニーズコミック」の部分が大変微妙な出来です。いろいろ研究して努力している部分も見て取れますし、わざとバランスを崩して描いてるなとか、日本風にデフォルメしようとしてるのは分かるのですが、それにしても強烈。

なによりRyokoが住んでいたという日本マンガの世界自体が、「全然面白そうに見えない」というのが致命的かと。

Ryokoの居た日本マンガの世界

文化祭

なんだこれ。

・・・おっと、今知りましたが、彼女はアメリカ人向けマンガの描き方の教科書も書いてるそうで・・・うーむむむ。そうなんだ。色々と残念です。

いっそ日本の漫画家にその部分だけ書いてもらったほうが対比として分かりやすかったんじゃないか。

ただし、そうすると今度は私が読んだときに感じたようなトンデモ感というものが薄まってしまうので、そこらへんが難しいところでしょうか。

なんか文句ばっかり書いてますが、全然面白くなかったかというとそうではなく、Ryokoの元カノの設定やMelissaとのラブシーンにおける「日本風修正」の入ったイラストなんかは思わず爆笑してしまいました。これは是非原作を手にとって見て欲しいところです。

作者のBarry Lygaはコミックの原作を手がけたのは今回が初めてだったそうですが、かなり年季の入ったの日米マンガのファンらしく、このMangamanも長年暖めていたアイデアとのこと。

果たして作者がまたグラフィックノベルの原作を手がけるのかどうかは分かりませんが、もし次回作があるようであれば見てみたい気もします。

・・・とここまで書いたところで、驚きのニュースを読みました。なんとこの作品、Young Adult Library Services Associationという団体が選んだ、2011年度のティーン代向けのベストグラフィックノベルの一作として受賞したそうです。

ちなみに同リストにはあだち充の「クロスゲーム」や鬼頭 莫宏の「ぼくらの」なんて名だたる名作に肩を並べています。

おお!これはもう、Mangamanも翻訳して日本で出版するべきではないでしょうか!?

・・・ないな。

ではまた。
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【2012/02/10 19:37】 | 読書関連 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
キリスト教原理主義者の大学に普通の学生が入学してみたら・・・(後編)
問題:以下の文章のうち、正しいものを一つ選びなさい。

(1)進化論は科学的手法によって証明できる。

(2)科学は世界の真実について知ることのできる唯一の方法である。

(3)ノアの箱船は、様々な種類の恐竜を運べるほど大きかった。








正解は(3)。

なぜなら大洪水の後も人間と恐竜は共存していたので、当時の人間はなんらかの方法を見つけたに違いないから。


・・・なんの説明になってるのかわからない。

こんなテストが真面目に行われている大学というのがアメリカにはあります。

アメリカはヴァージニア州にあるリバティー大学。キリスト教原理主義者によるキリスト教原理主義者のための大学で、「バイブル・ブートキャンプ」という名前で呼ばれています。

そこにキリスト教原理主義者の振りをして、大学に潜り込むことにしたのがケヴィン・ルース(Kevin Roose)。そしてその顛末を書いたのが"Unlikely Desciple”という本です。


Unlikely Disciple


ということで、前回の続き

リバティー大学に編入を決めた彼ですが、信者のフリをするため、キリスト教原理主義者の家庭で育った友人に即席の特訓を受けた後、リバティー大学の寮生活を送ることになります。

彼は聖書学や生物学で、普通の大学ではありえないような授業の内容に目を白黒させながらもスパイ学生を続けます。

慣れない聖書の勉強に四苦八苦しながらも、生徒による集団祈祷会、聖書の勉強会、教会のコーラスグループなどに積極的に参加し、他の生徒たちとの交流を結んでいきます。

ケヴィンが紹介するリバティー大学での生活はどれも興味深いディティールで一杯です。

クリスチャンロックやクリスチャンラップと言った独特なポップカルチャーや、キリスト教フェミニストとの出会い、ゲイを「治す」カウンセラーとの対話、禁欲セッション、デイトナビーチで浮かれている人々への布教ツアーなどなど、読者は普通のアメリカ人でも一生知ることのないような世界を覗き見ることができます。

奇しくもケビンが在学中に、ヴァージニア工科大学銃乱射事件が起こり、その事件にリバティー大学の学生たちがどのように反応したかと言ったことも詳しく書かれています。

ここで紹介されるエピソードには、やっぱりちょっと理解できないことも多く、この大学の方針はどう考えてもおかしいんじゃないか、と思うこともあるのですが、ケヴィンはそれらをなるべく公平に、そしてそれが無理な場合でも、自分の目にバイアスがかかってることを承知した上で記述していきます。

「うわーやっぱりちょっとキリスト教原理主義者ってオカシイ!」ってな話が沢山ある一方で、ケヴィンが目にする光景の中には、当初予想していたものとは異なるものも出てきます。

まずケヴィンを驚かせた最大の点は、同性愛や中絶問題、最大公約数としてはかなり保守的な思想をもつものの、そこにいたのは普通の学生だということ。当然、勉強や恋に悩むこともあるし、自らの信仰心にすら疑問を持ったり、挫折することもあります。ケヴィンが出会うリバティー大学の生徒達は、一般の人たちが思い込んでいる「キリスト教原理主義者」というおおざっぱなグルーピングでは収まらない、もっと多面性をもった人々だということ。

例えば、学生のなかにも、キリスト教原理主義者の政治活動を必ずしも好意的に捕らえてない人たちが結構いることや、一般的なキリスト教原理主義者のイメージとは異なり、ゲイ差別でも人種差別でも、あまりに極端な差別論者は却って敬遠されていたりするのです。

リベラルな思想をもった人たちがそうであるように、彼らも黒白で分けられる存在ではなく、限りなくグラデーションに近い、もっと言えば色とりどりの個性や信条、人生を背負った人々だということにケヴィンは気付きます。

またケヴィンは、リバティー大学の学生達が自分に対して示す友情や、誠実さに心を打たれ、自らの「嘘」に罪悪感を感じながらも、本当の友情を育んでいきます。

その中でも、厳しい規則の多いリバティー大学の中においても反抗心を持った学生達と出会い、特に彼らとの親交を深めていきます。(彼らのする「悪いこと」のひとつが、寮の部屋でR指定の映画を見ることだったりするのが笑えますが)

そんな学生生活が進むうち、ケヴィンの内面にもある変化が見られるようになります。

編入を決めたとき、周囲の人々はケヴィンがキリスト教原理主義に「転向」もしくは「洗脳」されてしまうのではないかと酷く恐れていたのですが、ケヴィン自身は最後までキリスト教原理主義者の信じる教えを完全には受け入れることはありません。

ただし、リバティー大学と言うある意味非常に特殊な環境に身をおくことは、良くも悪くも次第に彼の世界観に影響を与え始めます。

その中でも最大の点は「祈る」という行為について。

詳しく書くとネタバレになるので止めますが、どちらかと言えば無神論者に近かったケヴィンが「祈り」という行為に自分なりの答えを見つけるあたりはよく書けていて、筆者よりも断然「祈り」とは程遠い私の眼からも鱗が落ちました。

・・・なんだかこう書いていると、重いテーマばかりな感じがするかもしれませんが、そんなことはありません。

著者は当時19歳だったそうですが、そのユーモアあふれる筆致で語られるエピソードにはつい声を出して笑ってしまうこともしばしば。

キリスト教原理主義者になりすまそうと、それ用の自己啓発本を購入・実践していたところ、却って他のクラスメイトから「あいつちょっと変じゃね?」とか思われてた、みたいな話から、こういう潜入モノには欠かせない、「正体がばれるんじゃないかというスリル」「禁じられた恋」なんてものまで出てきて、読者の興味を引っ張り続けます。上手いんだこれが。

さらになんと後半、ケビンはひょんなことから学生新聞の記者として、大学の創立者であるジェリー・ファルウェル(Jerry Falewell)との直接インタビューまで出来ることになります。何と言う運命のいたずらか、これがジェリー・ファルウェルの人生で最後の新聞インタビューとなりました。ちょっと出来過ぎな気もしますが、本当の話。

そこでケビンによって語られるジェリー・ファルウェルの人柄についても、前編でも紹介したようなエピソードからはあまり想像がつかないような面が見られて興味深いです。

そして何と言っても、本書のラスト、ブラウン大学に復学したケビンはリバティー大学に再訪し、友人たちに自らの正体を明かすのですが、そこの部分もドキドキ。
ケビンのことを同じキリスト教徒と思って一学期を過ごした、友人のリアクションというのも大変見ものです。

本自体が面白すぎて、なんだか内容を羅列しただけみたいになってしまいましたが、とにかく今年読んだノンフィクションの中では一番の出来。

この本が出版以来、色んな書評でも誉められているのが納得できます。なにより面白いのは、一般の読者だけではなく、キリスト教原理主義者からも結構好評ということ。こういうテーマを扱うと、普通は賛否両論になりそうなんですがね。上にも書きましたがケヴィンの執筆に対する真摯な態度が読者に伝わるのでしょう。

本書から私が学んだことはと言えば、キリスト教原理主義者が集まる大学の知られざる内情、ということ以外に、やはり人をその思想、信条、宗教、価値観と言ったもので簡単に判断してはいけないのだな、ということ。

なんという当たり前の結論。でもそれが正直なところです。

日常生活でも、○○を信じているから誰それは馬鹿だとか、××に反対するアイツとは付き合えない、そう結論づけて人間関係を処理していくことは簡単だし人生も楽ですが、それで失っている機会というのは沢山あるはず。

だいたい、自分も相手もそんなに簡単に変わるわけがないのだから、意見の対立や、考えの違いのみに目を向けたって良くて現状維持、悪けりゃ掴み合いか絶縁にしかならず、生産的ではありません。

そういった部分はなんとか脇に措いて、とりあえず話し合って、まずお互いのことを理解しようとする。そういうプロセスを踏むことが、これからはもっと大事になっていくのでしょう。それはアメリカなら当たり前だし、今後多様化が進む日本でも同じだと思います。

そこでいきなり話は変わりますが、最近twitterをやっていて思ったことを少し。

twitterをやってて、ちょっとしたつぶやきがきっかけでやり取りをするようになった人が、ある日突然、思想的、心情的に自分と正反対の人だったと知って驚くことがたまにあります。

もし彼らが最初からそういう考えの持ち主だったと知っていたら、きっとやりとりすらしなかったでしょうが、それを知る前にその人がどんな人か、どんな日々を送っているかということが(140字未満の積み重ねと言うと限られたスペースの中でですが)、私はもう知っていて、ある程度親しみを持ってたりするわけです。そうするとなんだか人を単純にラベリングしてしまうことが難しくなります。

政治でもなんでも、大きな違いがあることは分かっていながら、その人のことは切り捨てられない。もっと知りたいと思う。答えは出ないかもしれないけど、対話は続けていきたいと思う。

テーマもスケールも全然違いますが、ケヴィンが貴重な学生生活を使って経験したことというのは、いまやtwitterなどのネットでもその一部分を体験することができるのかも知れません。牽強付会ですかそうですか。

ケヴィン自身、実は自らの経験をもとにとあるプロジェクトをやっています。The Jonah Projectと言うのですが、興味があるかたは著者のサイトを見てみて下さい。

この本、まだ日本では出版されてないみたいですが、いつか翻訳されたら是非。もしくは英語でも良いという人がいたら、手にとって見てください。

ではまた。


余談1:
本書で気になったことの一つ。リバティー大学には極めて少数ですが、クリスチャン以外の学生もいます。一つはスポーツなどの奨学金を目的に入学したアメリカ人。あとはLiberty Wayという厳しい校則に期待する親に送り込まれた子供たち。

もうひとつは、よく分からないまままに留学してきた学生。

いや、こういう人がいるんですって。

ためしにちょっとググってみたら、日本からの留学でよく使われるサイトにも情報が載ってました。(太字強調は筆者)

引用:
1971年創立。バージニア州リンチバーグ郊外にあるキリスト教系私立大学。神の理解に努め、学生自らが世界に対する視野を広げることを大切にしている。全部で38の専攻分野があり、人気の分野は看護学、スポーツ経営学、教育学など。学生は教会での集会に出席することを義務付けられ、キャンパス内は禁酒・禁煙。大学ではビジネス、国際政治、スポーツ、教育などさまざまな分野の指導者らを呼んで定期的に講演会を開催しており、学生にとって貴重な機会となっている。キャンパスの中心はジェファソン式の荘厳な建物で、コンピュータやテクノロジー設備が充実している。アイススケート場、ビリヤード場、TVゲーム設置のレクリエーションルームなどもある。スポーツはクロスカントリー、ラクロス、テニス、サッカーなどが盛ん。


いやいやいやいや。もっと色々と大事な情報が抜けてる気が。この情報だけを鵜呑みにして留学したら、きっと仰天すると思うよ。

余談2:

ちなみに不謹慎ですが、本書で紹介されてるクリスチャンラップの一節が面白かったので紹介。

Tryin' to find purpose in life without Chirst
Is like findin' Wesley Snipes in the dark with no flashlight

駄訳:
キリストなしで人生の目的を見つけようなんてのは、
懐中電灯なしで暗闇に潜むウェズリー・スナイプスを見つけようとしてるようなもんだ

なぜウェズリー・スナイプス(笑)

余談3:

私はこの本をKindleで読んだのですが、Kindle版には特別付録として、リバティー大学のテストで出てくるような問題を集めた例題集というのがついてきます。正解数に応じてどれだけリバティー大学的に「正しい」キリスト教徒か自己採点できる仕組みになってます(笑)。
こういう特別付録なんてコンテンツも、今後電子書籍じゃメジャーになっていくのかもしれませんね。クジラの歌声が聞こえる?気のせいじゃないでしょうか。
【2010/10/06 16:26】 | 読書関連 | トラックバック(1) | コメント(2) | page top↑
キリスト教原理主義者の大学に普通の学生が入学してみたら・・・(前編)
出版されたのは去年ですが、今年読んだノンフィクション系の本では、一番面白かったのでご紹介。

ケヴィン・ルース(Kevin Roose)という人が書いた"Unlikely Disciple"です。

Unlikely Disciple

簡単に内容を要約すると、キリスト教原理主義者がほとんどを占める大学に、リベラルな普通の大学生が「キリスト教原理主義者の振りをして」、1セメスターを学生として過ごした回顧録となってます。

これが素晴らしく面白かった。読んですぐにブログに書きたかったのですが、説明が必要な背景が多過ぎて、書きあぐねている内に、こんなに遅くなりました。

私が出来る範囲で簡潔に書いたつもりですが、それでもとても長いのはお許し下さい。

あと訳の問題。なんせ私自身キリスト教にも、いわゆる原理主義にも全然詳しくないので、不適切/不正解な訳語を使ってる可能性が高いのですが、それもご容赦を。

こんな長いの読めないよ!という方は、私を信用してとりあえず本書を読んでみるか、日本で翻訳が出たら試してみて下さい。

というわけで本題。今回は導入部です(笑)

※紛らわしい表記を訂正しました。(10月5日)



先日も9/11のコーラン焚書騒ぎや、クリスティン・オドネルなんてトンデモ議員の当選が話題にましたが、近年アメリカを語る際によくクローズアップされるのは、いわゆるキリスト教原理主義者という存在。

それについて語ったものでは、ドキュメンタリー映画では「ジーザス・キャンプ」が有名なところでしょうか。
映画評論家の町山智浩さんが一時期積極的に紹介されていたので、それで存在を知った人も多いかもしれません。

どういう人たちかと言うと、彼らは聖書に書いてあることを「そのまま」真実として受け取って、その教えを忠実に守ろうとしている人たちです。
例えば、世界はおよそ6000年前に神が7日間で創造したもので、アダムとイブが最初の人類。ノアの箱船は大洪水のなかをドンブラコしたって信じてるわけです。

進化論を否定したり、学校でID論(世界は何らかの知的存在によって作られたという、進化論に反対する人たちが唱える説)を教えるように訴えたり、同性結婚に強行に反対したり、地球温暖化は陰謀だと言ったり。

日本でたまに見かけるアメリカ発のニュースで「なんじゃそりゃ?」と思わせるような話は大体このキリスト教原理主義者が絡んでることが多いです。

宗教心が薄いと言われる日本とは違って、プロテスタントの流れを汲むこのキリスト教原理主義者の数は米国でも多く、また富裕層が多いことから、アメリカの政治に多大な影響力を持つことでも知られています。

ブッシュ大統領の最大の支持基盤だったことでも有名ですね。

そのキリスト教原理主義者の中でも大物中の大物というのがいました。2007年に亡くなってしまいましたがバプティスト派の牧師、ジェリー・ファルウェル(Jerry Falwell )という人物です。

まずはこの人物の説明をしなければいけません。

古くは1979年に「モラル・マジョリティ(道徳多数派)」というキリスト教に特化した保守系政治団体を結成、保守派のロナルド・レーガン政権誕生の一つの推進力になったことで有名ですし、上述のように2004年のブッシュ再選でも勝利に多大な貢献したと言われています。

テレビ伝導師としても有名で、政治的にはバリバリの保守、その過激な発言・行動は何度も大きな騒ぎになりました。

有名なところではこんなのがあります。

・9/11は天罰説

9/11直後に発言してかなりの話題になったのがこの発言。彼は9/11をアメリカから伝統的な宗教を排除する動きに対する神の怒りの表れとして、その責任の一端は、異教徒、中絶を行う医師、フェミニスト、そしてゲイやレズビアンの活動家、米国自由人権協会などにあると指弾しました。

実際の発言の様子。



・地球温暖化はでっちあげ

彼らは地球温暖化説というのは政府から金をもらっている科学者達による陰謀であるとの説を唱えています。
ちなみに彼らが地球温暖化が嘘であると唱える根拠の一つは、「聖書に書いてあるから」ということらしいです。

知ってました?もう少し詳しく書くと、ノアの洪水の後、神は二度と洪水によって人類を沈めるようなことはしないと約束してるから、温暖化のようなことは起こらないんだそうです。わお。

・テレタビーズゲイ疑惑

テレタビーズ。昔日本でも人気がありましたが、あの登場人物中の紫の奴はゲイという説を唱えました。
「やつは紫色、紫はゲイのシンボルカラー。そしてやつの頭についているアンテナは三角形。ゲイ・プライドシンボルマークだ」からとのこと。

一番右の奴です。見りゃ分かるか。


・クリントンクロニクル

これはあんまり日本では知られていませんが、ファルウェル一派はクリントン政権時代にクリントンを中傷するビデオを配ったことで知られています。内容と言うのが、クリントンはコカイン中毒で、ドラッグの密輸やマネーロンダリング、セクハラなどをしており、更には当時の大統領次席法律顧問ビンス・フォスターや多数のジャーナリストの死に関与していると糾弾した衝撃的なもの。このビデオ(当時はVHSなので)はすぐに反証され、デマカセというのが判明しましたが、30万部も配布されたと言います。

そのほかにもTV番組の中で「エイズはホモセクシュアルに寛容な社会に神が与えた罰だ」とか、ムハンマドをテロリスト呼ばわりしたりと、まぁそのトンデモ発言には枚挙がありません。

こんな発言をしているファルウェル、日本だったら到底支持を集められないと思いますが、全米最大級のメガチャーチを率いていました。信者の数はおよそ2万人。

そして、なんと大学まで設立しています。

その名もリバティー大学。ヴァージニア州リンチバーグに存在し、基本的にキリスト教原理主義者を対象とした教育を行っています。

別名「バイブル・ブートキャンプ」

この大学はおそらく全米でも指折りの保守的な大学として知られ、学生は46pの行動規範、リバティーウェイと呼ばれる規則を守らなければいけません。破った場合は罰金および罰則点と言ったものが付けられます。

たとえばこんなルール。

・酒、タバコの所持、使用の禁止。酒を飲む場所に居合わせてもいけない。
・どんちゃん騒ぎ禁止。
・門限は厳守。
・ダンスパーティーに行ってはいけない。
・カーシング(罵り言葉)を言ってはいけない
・R指定の映画を観てはいけない。
・手をつなぐ以上の個人的な接触は禁止。ハグは3秒まで。
・異性と一晩を過ごしてはいけない。というか、異性の寝室に入ってはいけない。
・男子の髪型は襟にかかってはならず、耳が出ていなければいけない。

などなどなど・・・その学生生活は楽しいのか?

当然、宗教大学ですから、そこで教えられる内容もキリスト教原理主義に基づいたもの、具体的にはキリスト教原理主義者の解釈による(かなり偏った)聖書の内容を学ぶとともに、現代社会に蔓延る不信心な人たちに如何に論理的に対抗するかを学ぶ内容になっています。

たとえばリバティー大学では進化論を教わるのですが、そのクラスで教わるのは進化論が正しいということを教えるのではなく、進化論がどれだけ「間違ってて」「馬鹿げてるか」というのを生物学の学位をもった教授が懇切丁寧に教えてくれます。あこれ、ちなみに必修科目です。

こんなふざけた話を聞くと、なんだかリバティー大学は私塾に毛が生えたようなところかと思うかもしれませんが、これがなんと立派なリベラルアーツの総合大学。

神学部だけでなく、法学部、工学部、航空学部などもあり、その生徒数は1971年にはたった154人だったのが、2007年ではオンラインで受講している人を含めるとなんと2万5千人。

日本の大学で言えば、例えば中央大学と同じくらいの規模になります。

勉学以外の分野でも学生たちは優秀な成績を残しており、この大学のディベートチームは全米でも有数の強豪だそうですし、スポーツではメジャーリーグやNFL、NBAの選手も輩出しています。

弁護士や政治家を目指す人も多く、大企業のトップにもここの卒業生がいるそうで。

個人的にはシカゴとシアトル、どちらも比較的リベラルな都市に住んでいたこともあり、学生時代のクラスメイトや妻の元上司にも敬虔なキリスト教徒はいましたたが、いわゆるキリスト教原理主義者と接近遭遇した経験はありませんでした。

・・・いや、昔ESLに行っていたときにクラスメイトだった韓国人のS、いま考えてみれば彼はかなりそっちの方だった気がします。ってあれは韓国系キリスト教徒か。そっちはそっちで全然話が違うので割愛。

こんな具合に結構な規模を誇るリバティー大学ですが、実はアメリカ人にとってもキリスト教原理主義者というのはそれほど身近じゃないという話もあります。本書にも挙げられている調査によれば、アメリカ人の51%は交友関係にキリスト教原理主義者がいない、というも説もあるそうで。

一方で定義や調査団体によって数がばらけますが、一般的にアメリカ人の3割がキリスト教原理主義者とも言われてます。ものによっては4割なんてのも。

存在は知ってるけど、実際には話したことがない、そんなアメリカ人が多いってことですね。極分化してるってことかもしれません。

じゃあその、話には良く聞くけど、そういうキリスト教原理主義者の人たちが通うリバティー大学っていったいどういうところなんだろう、そこではどんな学生生活が営まれているんだろう。

そんな疑問を持ったのが、今回紹介する本の著者、ケヴィン・ルースです。

彼自身はクエーカー教徒の家庭に育ったものの、キリスト教信者とはほど遠い普通の学生です。
しかもブラウン大学というのは、アメリカの大学でも特にそのリベラルな校風で知られたところ。

彼は19歳のとき、とあるジャーナリストの元でインターンをしていて、リバティー大学の学生たちとほんの少しだけ話す機会がありました。そこで、自分とはまったく異なる学生生活を送っている彼らに衝撃をうけます。

普通だったら「いやー自分と同世代なのに、変わった連中がいるもんだ」で終わりそうですが、彼はそこでなんとブラウン大学からリバティー大学に一セメスターだけ編入して、この「バイブル・ブートキャンプ」を実際に体験しようとします。
しかも、キリスト教原理主義者のフリをして。

この本のタイトル、"Unlikely Disciple"というのはおそらくアメリカ人作家が書いた"Unlikely Spy"(日本ではマルベリー作戦」)からとったものだと思うのですが、まさにニセ信者の振りをする彼はまさにUnlikely Disciple(ありそうもない/疑わしい 信者の意) 。

彼が「バイブル・ブートキャンプ」で見聞きするものは何なのか、潜入を終えた後、彼の世界観に変化が起こるのか?

というところで、偉い長くなったので、実際の感想については次回に。

ではまた。

Unlikely Discipleが出版されるときに作られたトレーラー(4分)



今回書いた内容はほぼこの動画を見れば分かります(おい)
【2010/10/05 14:12】 | 読書関連 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
ジェフリー・ディーヴァーのサイン会に参加したこと。(2010年版)
この件についていい加減更新しなければ。

と言う訳で、年中行事となった例の件、今年も行って参りました。

そう、年中行事と言えばあれでございます。ジェフリー・ディーヴァーのサイン会。

ちなみに過去のエントリはこんな感じでございます。



2006年
ジェフリー・デイーヴァーのサイン会に参加したこと。

2008年
ディーバーのサイン会に参加したこと(心の準備偏) 
ディーバーのサイン会に参加したこと(本編)

2009年
ジェフリー・ディーヴァーのサイン会&朗読会に参加したこと。(前段)
ジェフリー・ディーヴァーのサイン会&朗読会で見聞きしたこと。(本編)




私がどれくらいディーヴァーが好きかとか、そもそもディーヴァーがどんな人かってな説明は省きます。
先月、リンカーン・ライムの最新刊"The Burning Wire"が発売されたので、そのサイン会&トークイベントに参加してきました。

The Burning Wire


場所は昨年同様、Third Place Booksです。

本当にこの書店は大好き。もう少し近ければ日参したいくらいです。ってこれ去年も書いたな。

勝手知ったる書店を通り抜け、サイン会会場へ。今回は最前列のど真ん中に座ります。
周囲を見回すと、用意された席はほぼ満席。40人くらいでしょうか。年齢層は20-50代まで色々。ほぼ全てが白人で、アジア人は私以外は一人くらいしかいません。これも去年と同様。

あっという間に時間がきて、書店員さんによるアナウンスの後、拍手に迎えられディーヴァーが登場。

まずはディーヴァー自身による、最新作"The Burning Wire"の紹介。

"The Broken Window"、"Roadside Crosses"とインターネット絡みのテーマが続いたディーヴァーですが、今回はもっと身近な「電気」がテーマになっています。
実際、作中でも同様の説明がありますが、電気を水に例えて、犯人がどのようにして犯行に及ぶのか、また私たちの身の回りにある電気がどれくらい恐ろしいものに変わるかについて、色々説明をしてくれました。
ちなみに普通の電球一つ点けてる電気だけで、十分殺傷能力があるなんてこと、知識では知ってるつもりでしたがディーヴァーに言われるとなんだか恐ろしく感じてしまいます(笑)。

そして作品の説明が終了する合図は去年も聞いたこんな台詞。

「そして物語はサプライズエンディング・・・に次ぐサプライズエンディング。と思いきや更なるサプライズエンディング・・・そしてもう一度サプライズ(笑)」

その後は、今後の刊行予定について。ここら辺はディーヴァーのウェブサイトに載ってる情報と同じです。

まず今年の11月に"Edge"。これはパーソナルセキュリティーの専門家を主人公にいしたスタンドアローン作品でです。あまり知られていない職業をテーマにした時のディーヴァーにハズレ無し、なのでこれは期待したいところ。
そしてこれは一部でニュースにもなってましたが、来年の5月にはジェフリー・ディーヴァーが手がける、ジェームズ・ボンドの最新作が刊行されます。
タイトルその他一切不明で、"Project X"と言う名前だけが知られています。
ディーヴァーが仄めかした感じからすると、どうやら舞台は現代にして、登場人物を全員若返らせるようです。
主役のボンドも映画版のキャラクターよりも複雑な内面をもつ、イアン・フレミングの原作に近い形になるっぽい模様。

とはいえ、私は恥ずかしながらイアン・フレミングの作品をほとんど読んだことがないので、それがどんなものになるか想像もつきません。でもどんな作品になるか楽しみです。

そして再来年にはキャサリン・ダンスの新作、リンカーン・ライムは2013年になるってことみたいです。もう随分先まで決まってますね。

アナウンスが終わり、次に具体的なトークイベントに入っていくわけですが、そこでディーヴァーはこう言いました。

「こういうイベントだと作家は大体自身の作品を朗読するわけですが、私はそういうのはどうも苦手です。もう一度お金を貰わなきゃいけない気になるものでね(笑)」

・・・と、これまた去年聞いた台詞。前回はこの後、ディーヴァーの「日記」と称するものの朗読会になったわけですが、ひょっとしたら今年も同じ演目(笑)なのでしょうか。まぁ面白かったから良いけど。

と思っていると、ディーバーが続けます。

「というわけで、今回は皆さんと一緒に作品を作っていこうと思います。」

え?

そんな出だしで始まった約30分のトークセッション。

ディーヴァーは作品を書き上げてバケーションを取っている6月1日をスタートとして、翌年の5月に新刊を出すという前提で、具体的な作品執筆の流れをひとつひとつ話してくれました。

ディーヴァーの作家としての心得、戦略論から始まり、アイデアの思いつき方、アウトラインの組み立て方とその試行錯誤、サプライズエンディングとそのサプライズエンディグのそのまたサプライズエンディングの構築方法、そして原稿執筆後のリライトまでを具体的に、そしてユーモアたっぷりに紹介してくれました。

これが本っ当に面白かった。

ひょっとしたらディーバーが今年来日した際に、サイン会で披露する可能性もあるので細部は書きませんが、デイーヴァーのファンとして、このセッションはとても興味深かったです。
実際の創作にかかる期間とともに、ディーヴァーの執筆の流れが良く分かりました。
いや本当にこんなことやってたら、執筆にフルタイムで1年かかっても不思議じゃありません。

そしてディーヴァーの作風からはちょっと思いつかないのですが、ディーヴァーのトークは本当にユーモアに溢れており、会場からは途切れることなく笑い声が起こりました。

ほんの一部だけネタバレをすると、

例えば、アウトラインを書き留めるノートの文章(と称するもの)を読み上げてると、いつの間にかディーヴァーの本をぱくったとある有名TVドラマへの恨みが紛れ込んでしまうとか。

アイデアに行き詰まり七転八倒したり、とあるプロットが無理だと分かって3ヶ月の努力が無駄になったり。

またはサプライズエンディングのアイデアを怒涛の勢いで展開していくあたりなんて、ディーヴァーによるセルフパロディみたいで、つい「あーそれはウォッチメーカー!」「あーそれはエンプティチェアだ!」と聞きながら笑ってしまいました。

最後のリライトのフェーズで読み上げられる、リライト前後の文章の違いなんて、私の横にいた男性は涙を流して笑ってるほど。

難しいかもしれませんが、是非日本のサイン会でもやると良いのになぁ、とか思います。

その後、質問タイムに。

えーと、全部の質疑応答について書こうと思いましたが、やっぱり今年の日本におけるサイン会のことを考えて割愛します。

ただ、私がした質問と答えだけは書いておこう。

Q.ディーヴァーさんは作品の執筆時、アウトラインだけで8ヶ月かけると聞いてますが、実際のリライトにはどれくらいかかってますか?また、今までで一番大変だった作品は何でしょうか?

ちなみにこれは、事前にmixiのディーヴァーコミュニティで募集した質問です。

A.アウトラインで8ヶ月。原稿執筆に2ヶ月。そしてその編集に2ヶ月かけてます。そして一番執筆に時間がかかったのは、間違いなく「獣たちの庭園」"Garden of Beasts"でしょうね。

Q.去年日本に来ると言っていらっしゃいませんでしたが、今年は来ますよね?具体的にはいつでしょう?

A.一応11月を予定してます。日程はまだ未定ですが、多分11月1日から10日までの間じゃないかと思ってます。

ということです。

その他の人がした質問で面白いネタもありましたが、それは実際にサイン会のときに聞かれると良いのではないでしょうか。
例えば・・・「アンジェリーナ・ジョリー」についてなんか聞くとちょっと面白いエピソードが聞けるかもしれません。詳細は言いませんが。

質問タイムも終了。席を片付けた後はサイン会。

実は今回、私はとある目的を持ってこの場に参加していました。

というのは、日本でも最近騒がれている電子書籍ブームにおいて、これからのサイン会というものも変化していく必要があるのではないかと言うことを思っており、それについての私なりの回答を実践しようと思っていたのです。

列で待ちながら、ちょっとドキドキが高まる私。

流石に4回もサイン会に来てるせいか、私の顔を見たディーヴァーは「Hello! Friend! 娘さんは元気かな?」と言ってくれました。ちょっと嬉しい。うひひ。

購入済みのハードカバーにサインをしてもらったあと、おずおずと口を開いた私。

「あのー・・・僕のKindleにもサインしてもらえないでしょうか?」

これが私なりの電子書籍時代のサイン会への回答。アホですかそうですか。

ディーヴァー、「ふふっ」と笑ったあと、喜んでサインをしてくれました。

優しいディーヴァー

内心は引いてるかも知れませんが(笑)

こんな感じ。

サイン入りキンドル

ちなみにディーヴァーはサインをしながら、「あー君の名前は入れないほうが良いかな?そうすれば、なんだ。次に新しいのを買ったときなんかに・・・」

いえいえ。e-bayで売ったりしませんから。

というわけで、いい加減長くなったのでここらへんで終わりますが、今年のサイン会、去年よりも更に素敵なひと時を過ごすことができました。良い記念品も出来ましたし。

来年もいくぜ。

ではまた。

※ディーヴァーの来日予定を間違えて10月とか書いてました。すみません。11月ですね。>cyberbabe様
【2010/07/19 01:32】 | 読書関連 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
(多分)どこよりも詳しいR.D.ウィングフィールドについて
※追記しました。(4月14日)

というわけで、前回の予告から随分と日が経ってしまいましたが、今日はフロスト警部シリーズの作者、R.D.ウィングフィールドについて書こうと思います。

先に書いておきますが、今回のエントリの内容についてはほとんどの情報をイギリスのミステリー作家、マイク・リプリーMike Ripley氏がイギリスミステリー専門ウェブマガジンShotsに書いた、

Appreciation of Rodney Wingfield (and Jack Frost)


から得ています。そのまま訳したものもあれば、リプリー氏とのやり取りで得た情報を元に私が追記したり、色々と構成を変えたり、割愛したりもしてます。

今回リプリー氏から記事の引用および氏所有の写真の使用の許可は頂きましたが、内容にミスや誤訳がありましたら、それらは100%私の責任です。いつでも土下座する準備は出来てます。

あと写真については特に注意書きの無いものはネットから拾ってきたものです。問題があればご指摘下さい。(一応フェアユース!と叫んでおく)

あと文中、敬称は略です。

というわけで以下本文。今回は長い!




いまやイギリス、日本は言うまでもなく、世界中で読まれているフロスト警部シリーズですが、その作者、R.D.ウィングフィールドについてはほとんど知られていません。

その生涯において、ミステリー作家の集まるパーティに一度も顔を出すことがなく、国民的大ヒットドラマの原作者であるにも関わらずショウビジネス業界を嫌い、自身のエージェントとのコンタクトすらほとんどファックスで済ませていたというウィングフィールド。

その人となりについては、エージェントですらほとんど知らないままだったそうです。エセックスのベイジルドンで、病気の妻の看病をしながら地味ながら平穏な生活を送っていたと言われています。

特にそのカメラ嫌いは有名で、ごくごく若い頃の写真が一枚あるだけ。イタリアの出版社に至っては、著者近影が手に入らないものだから、ラジオでフロスト役を演じた喜劇俳優ケネス・ウィリアムズ(Kenneth Williams)の写真を使ったくらいです。

若い頃のウィングフィールド
1950年代のウィングフィールド。(提供:Mike Ripley)

イタリア語版著者近影
イタリア版フロストの著者近影、ならぬケネス・ウィリアムズ。

気のせいか「なぜ俺がこんなところに載せられているんだ」みたいな表情にも見えます。

無理矢理譬えるならば、東野圭吾の写真が見つからないからって、福山雅治の顔を著者近影に載せるようなもんでしょうかね。全然違うだろそれ、みたいな。

そんなウィングフィールドを直接知る、数少ないミステリー作家の友人がマイク・リプリーです。数少ない、というかどうも唯一の、だったようですが。

マイク・リプリー、イギリスのミステリーにちょっと詳しい方だったら、名前を聞いたことがあるかもしれません。” Just Another Angel”(邦題:名ばかりの天使)や”Angel Touch”(邦題:天使の火遊び) と言う「エンジェルシリーズ」が有名です。

マイクリプリー作品

残念ながら日本では翻訳が止まっているようですが、イギリスではシリーズだけでこれまでに15冊出版されており、様々な賞も受賞しています。そのユーモア溢れる作風、優れたプロット、洒落た台詞回し、魅力的なキャラクター造形には定評があり、「イギリスで最も面白いミステリー作家」と言われたこともあります。そこらへん、ちょっとばかりフロスト警部シリーズに似ているかもしれません。

マイク・リプリーはミステリー作家であると同時に、ミステリー評論家でもあり、ミステリー関連のエッセイを書いたり、アンソロジーを編集したりしているのですが、ウィングフィールドと直接知り合うのは一冊のアンソロジーがきっかけでした。

と、その前に、フロスト警部シリーズが生まれるまでの話をする必要があります。

・フロスト警部が誕生するまで

ロドニー・デイヴィッド・ウィングフィールド(Rodney David Wingfield)は1928年、ロンドンのイースエンドで生まれ、60年代終わりまでフィナ石油会社で事務員として勤務しつつ、仕事以外の時間を全て使って1・2幕物の短編を書いていました。

1968年に"Compensating Error"がBBCのラジオ部門によって買い取とられ、すぐに続く2作の契約が結ばれたこと、また、当時何十万人もの人が聞いていたラジオドラマ市場において、それらの作品が高い評価を受けたことに自信を持ち、ウィングフィールドは会社を辞めラジオドラマ作家に専念することになります。

以来約20年間もの間、ウィングフィールドは優れたプロットとどんでん返しの結末で知られる彼の作品をBBCに提供し続けました。

ちなみにウィングフィールドはこれまでに一作だけケネス・ウィリアムズ向けに純粋なコメディを書いたこともあるそうです。(本人曰く、「一度でこりごり」だったとのこと。)

主に登場するのは小悪党ばかりで、複数のプロットラインが組み合わされているという、後のフロスト警部シリーズに共通する要素は、当時の作品からの特徴だったらしく、ウィングフィールドの才能に注目したMacmillianという出版社の編集者、George Hardingeは1972年、ウィングフィールドに50ポンドの返済不要の前払い金とともにミステリー小説の依頼をしました。

「返済不要」という言葉に惹かれ、ウィングフィールドはうだるような暑さの夏を費やして作品を書き上げます。それが"Frost at Christmas"(邦題:クリスマスのフロスト)でした。って、あの作品は夏に書かれたんですねぇ。意外です。

ところがところが、驚くべきことに、この作品はMacmillanによってボツをくらいます。おやまあ。

自らが生み出したジャック・フロストというキャラクターを捨てるのに忍びなかったウィングフィールドは、ボツになった小説を当時の本業であるラジオドラマへと転用します。

作品のタイトルは"Three days of Frost"でした。これがフロスト警部のデビューとなります。

当初、フロスト役はRonnie Bakerが演じる予定でしたが、都合によりLeslie Sandが演じることになりました。ウィングフィールドにとって、このLeslie Sands演じるフロストこそが生涯、彼のお気に入りだったそうです。

ちなみにLeslie Sandsはこんな顔

Leslie Sands

・・・あれ?なんか日本語版のカバーイラストに似てませんか?

日本語版 クリスマスのフロスト

余談ですが、実は今を去ること10年以上前、私が初めて原作を読んでいたとき、作中描写されているフロストと、カバーイラストの乖離が気になってました。

作中ではフロストはこんな描かれ方をしています。

年齢は四十代後半といったところ。農夫のように日灼けした顔、寒さに紅潮した頬にはそばかすが散っている。活力に溢れたブルーの眼、生え際がすっかり後退し、頭皮のそばかすまで見て取れる。周囲にかろうじて残っている、薄茶色をした産毛のような髪。(創元推理文庫「クリスマスのフロスト」66p 芹澤恵訳)

全然イラストと違う。

個人的にはイラストのフロスト警部のイメージが非常に強かった(そして良かった)ので、のちに漫画家のいしいひさいち氏が書いた四コマ漫画に出てくるフロスト警部の方が原作の描写通りなのに、そっちに違和感すら感じたものです。

ひょっとして、創元推理文庫版のカバーイラストた村上かつみさんはLeslie Sandsを参考にしたんではないでしょうか・・・というのが私の推理。うがちすぎでしょうか。

<追記>
なんとこの件について、村上かつみさんご本人からコメントを頂きました。村上さんはLeslie Sandsをご存知だったわけではなく、日本語版フロスト警部のイラストとLeslie Sandsが似ているというのは偶然だったそうです。おお何たる恥さらしな私。でも何とも素敵な偶然ですね。村上さんありがとうございました。



話を戻します。

自らを常に「筆不精の作家」と呼び、「長編小説を書くことに心底うんざりすることもある」と言っていたウィングフィールドでしたが、ラジオドラマとなった”Three days of Frost”が受けた高い評価に励まされ、没になったオリジナルを書き直し、とうとうフロスト警部シリーズ第一作"Frost at Christmas"(邦題:クリスマスのフロスト)を出版することに成功します。最初の原稿からなんと12年の歳月が流れていました。

しかし、いまとなれば本当に不思議ですが、最初の出版はイギリスではなくカナダでした。本国イギリスで出版されるのには更に5年かかったとのこと。

しかも、"Frost at Christmas"がイギリスで出版されたとき、極々一部のメディアと評論家のみが注目しただけでした。

火がついたのは二作目の"A Touch of Frost"(邦題:フロスト日和)が発表されたときだったそうです。

第一作から年間ミステリベスト1位に選んだ日本の読者というのは、なんというか目が肥えてるというか、ちょっとくらい威張っても良いのかもしれません。

・ドラマ版 フロスト警部"A Touch of Frost"が出来るまで

1990年代のイギリスのTV業界においては、刑事物ドラマが流行していました。他のミステリと同様、フロスト警部もあっという間にドラマ化の権利が買われていました。しかしその実現については疑問視する人も多かったようです。

マイク・リプリーもその一人でした。

リプリーは1989年にカナダ帰りの友人から"Frost at Christmas"を紹介され、ウィングフィールドの才能をその初期から高く評価していた数少ない評論家でした。

そのリプリーからしても、ウィングフィールドの描く、暗く、血なまぐさい事件が同時進行で起きるプロットライン、果てしなく下品で趣味の悪いブラックユーモアを連発するフロスト警部というキャラクター、これをテレビで放映する度胸のあるプロデューサーはいないだろう、と思ってたそうです。

上記のことをウィングフィールドのエージェントに言ったリプリー氏は、第三作"Night Frost"(邦題:夜のフロスト)が発売される直前に、そのエージェントからこんな話を聞かされます。

「ディヴィッド・ジェイソンならいける」

1992年、イギリスのテレビ業界には文句の付けようのない大スターが2人いました。一人はモース警部を演じたジョン・ソー(John Thaw)。もう一人がコメディドラマで名を挙げていたディビッド・ジェイソン(David Jason)で、人気絶頂の彼は、演じたい役があれば何でも演じることが出来る立場にあり、次回作に刑事ドラマを考えていました。

伝わってる話によれば、休暇でスキューバダイビングに出かけたディヴィッド・ジェイソンは3冊のミステリーを持って行ったそうです。その三冊のタイトルには諸説あり、一冊はリプリーのエンジェルシリーズだったのではないかとも言われてます(リプリー自身は信じてないそうですが)。そしてその三冊の中のひとつのタイトルが彼の興味を惹きました。それが"Touch of Frost"(邦題:フロスト日和)だったわけです。

そしてその後、ご存知のようにフロスト警部はイギリス中に大人気となります。

・ドラマ版に関するウィングフィールドの意見

ドラマ版フロスト警部について、作者のウィングフィールドは随分と不満を述べていたようです。いまちょっとググってみたところ、こんな文章を見つけました。

>同年から『フロスト警部』TVシリーズが放送されることになったが、自分の小説と微妙な点で異なること、影響を受けることを避けて、まだ観たことはないという。
http://www.alcine-terran.com/main/frost.html

wikipediaも同じこと書いてますね。ひょっとしたら翻訳版の訳者解説か何かにあった文章でしょうか。

ドラマ版にも大勢のファンがいる手前、こういう書き方になったのかもしれませんが、実際にリプリーがウィングフィールドから聞いたの発言は以下のようなものです。

「決してフロスト役のディヴィッド・ジェイソンに含むところがあるわけじゃない。ただ彼は私のフロストじゃないんだ」
“I have nothing against David Jason as Frost at all, he just isn’t my frost”

一説には、ウィングフィールドはドラマ版フロストのパイロットエピソードの脚本に酷く批判的だったそうで、1992年の12月にパイロット版が放送された後、もう二度と他のエピソードを見ることはないと宣言し、実際に2006年に放映された、TV番組に登場する名探偵を特集する番組への出演も断ったくらいです。

その後も新シリーズの放映が始まってることはTVアワードを見て知るくらいで、ディヴィッド・ジェイソンがまだヒゲを生やしてるかどうか、くらいにしか興味が無かったとのこと。

本人は不満だったようですが、とにかくテレビ版のフロスト警部人気のおかげで、フロストシリーズの続行が決まりました。ウィングフィールドは1988年に放送された"Hate Mail"を最後に、ラジオドラマの脚本を書くのを止め、嫌々ながらも小説に専念することになり、結果的に長編小説6冊と後述する短編を残すことになりました。

ここでようやく、マイク・リプリーがウィングフィールドと知り合います。

・ウィングフィールドとリプリー

マイク・リプリーがウィングフィールドと出会うきっかけになったのは、一冊のアンソロジーでした。リプリーはもう一人の作家とともに、イギリスの「気骨のある」新人ミステリー作家の短編を集めた"Fresh Blood"というアンソロジーシリーズを編集していました。そのほとんどは若い書き手で占められていました。

リプリーはウィングフィールドをこのアンソロジーに加えたらどうかと提案します。

その時点で、ウィングフィールドが出版していた本は三冊だけだったので、新人と言えないこともないっというのが根拠だったそうです。

その申し出に驚いたのはウィングフィールドでした。なんせ当時もう68歳。脚本家としては30年近くのキャリアを誇る大ベテランです。

ウィングフィールドのFAX番号を出版社から手に入れて、彼にオファーをしてみたところ、彼の最初の返答はこういうものでした。

「新鮮な血(Fresh Blood)?私が?誰かと間違えてるんじゃない?」

当時、アメリカの出版社から続編(後の"Hard Frost"(邦題:フロスト気質))の執筆をせっつかれていることを理由に、なんとか依頼を断ろうとするウィングフィールド。リプリーはFAXのやりとりを続けて説得に成功します。

そして出来上がったのが、フロスト警部シリーズの最初の短編"Just the FAX"(邦題:ファックスにて失礼)です。

ちなみにこの作品、全部で6行という非常に短いストーリーなのですが、事件の被害者はとあるミステリー評論家。

名前はリプリー。

・・・原稿の依頼人を殺してしまうあたり、なんというかウィングフィールドは当初本当に書くのが嫌だったのが良く分かります。っていうか、ひどい。←誉めてます。

この仕事をきっかけに、ウィングフィールドとリプリーの交流は主にFAXと電話で続いていき、友人としての付き合いが始まります。

一年後、日本の出版社(多分、ハヤカワミステリ)がウィングフィールドに"Just the Fax"の翻訳権を買いたいという申し出があったときにも、ウィングフィールドはリプリーに相談しています。

そして日本の出版社からの$200で買いたいというオファーに対して、リプリーは$300にしてもらえとアドバイスをしたそうで。

後日、その額で決まった時、ウィングフィールドはその半分をリプリーに渡すと聞かなかったそうです。なんだか良い話。

二人のエピソードは続きます。

この作品の映画化権はどうしようか、という話になったときのこと。

ウィングフィールドは映画化については明確な意見があったようで。こんなやりとりがありました。

「キャスティングは問題ない。アーノルド・シュワルツェネッガーが喜んで演じると思う。ただベラ・ルゴシが死んじゃってるからねえ。君の役を演じられる人がいない」

「ベラ・ルゴシが死んでる?なんでそんなことが言い切れる?」

一応説明しておきますが、ベラ・ルゴシはドラキュラ役で有名な俳優。ちなみにリプリーとは似ても似つきません。

“Hard Frost”(邦題:フロスト気質)を最後の小説として、自分の慣れ親しんだラジオドラマの業界に戻ろうとしていたウィングフィールドですが、世界中の人気に押される形で5冊目のフロストを執筆します。それが1999年のWinter Frost(未訳)。

このころ、リプリーは最初にウィングフィールドを知るきっかけとなったカナダ版ペーパーバックの"Frost at Chirstmas"を失くされてしまった話をしたところ、彼からサイン付きでイギリス版の初版ハードカバーをプレゼントされたそうです。

その時の彼曰く「ソファーの裏に落ちてたのを見つけた」とのこと。現在では£2,000の値がついてるそうです。

冒頭で書きましたが、ウィングフィールドは長年病気の奥さんの看病をしていたのだそうですが、奥さんが亡くなったのが2004年。

リプリーによれば、当時のウィングフィールドの受けたショックは凄まじく、もう立ち直れないのではないかと心配したくらいそうです。

その後、とある新聞にウィングフィールドが書いてもいないフロスト警部の短編(のちにテレビ版の脚本家の手によるものと判明)が掲載されたことによる大騒動などもありつつ、リプリーとウィングフィールドの友人関係は続いていきました。

時代とともに、FAX中毒からEmail中毒へと乗り換えていたウィングフィールドは、定期的に面白いと思った“今週のジョーク”や漫画、とんでもないインターネットリンクなどをリプリー送ってきたそうです。(大体どんな内容だかは想像がつきそうですが)

またウィングフィールドは、リプリーがウェブマガジンに連載している、イギリスミステリに関するゴシップエッセイ"Getting Away with Murder"の愛読者でもあったそうで、ちょくちょく洒落の聞いた感想なんかも送ってきてくれたとのこと。

ちなみに、これら大量のFax、Emailは今でもリプリーの手元で大事に保管されてるそうです。

リプリーが最後にウィングフィールドに会ったのは2005年。ウィングフィールドの誘いにより、ベイジルドンで昼食を一緒にした時だそうです。以下はその時の写真。

リプリーとウィングフィールド

向かって右側がマイクリプリー、左がウィングフィールドです。(提供:Mike Ripley)

既に75歳だったウィングフィールドは、体は弱っていたように見えたそうですが、精力とユーモアには満ち溢れており、リプリーに新作の準備をしていることを明かしました。そのタイトルは”An Autumn Frost” のちに”A Killing Frost”(未訳)という名前で発表されました。これが遺作となりました。

ここでまた余談ですが、”A Killing Frost”の中でフロストが見せるちょっと衝撃的なシーンがあるのですが、これはひょっとしたら2004年に奥さんを看取ったことが影響しているのかも知れない、と今回リプリーの文章を読んでいて気づきました。亡き妻への追憶というか、言葉にならない切ない想いが描かれているシーンで、私にとって、本作の一番印象に残った場面となっています。

ここらへん、どなたか他に読了された方がいたら、是非話してみたいです。

ちなみに、最後に会った時、リプリーはウィングフィールドが7年にも亘る闘病生活を送っていたということは知らなかったそうです。

そしてウィングフィールドは2007年7月31日、前立腺癌で78歳の生涯を終えます。

リプリーとウィングフィールドのメールのやりとりは死の1ヶ月前まで続いていました。

ミステリー作家として唯一葬儀に参列したリプリーによれば、ウィングフィールドのユーモアのセンスは最後の最後、葬儀の場でも発揮されたそうです。

彼の葬式のとき、式を執り行う司祭が参列者に伝えたところによると、彼は自分の携帯電話も一緒に埋めてくれるよう念を押していたとのこと。

曰く、「万が一のミスってこともあるから」

そして、このメッセージを伝えた途端、狙ったかのようなタイミングで、なんと携帯電話が鳴り出し、教会にいた全員が仰天したそうです。

結局、その携帯電話のベルはその司祭が自分の携帯電話の電源を切り忘れていたということですが。

参列者が教会を去るときには、故人のもう一つの要望として、フランク・シナトラの”マイウェイ”が流されました。

リプリーはどこかでウィングフィールドがクスクス笑ってるに違いないと思ったそうです。





と言う訳で、長々と書いてきましたが、如何だったでしょうか。

・・・正直なところ、リプリー氏の書いた原文のニュアンスというか、良い部分の1%も表現できてる気がしない上、いくつかエピソードも省いてしまってるので、興味のある方は是非原文にあたって頂ければと幸いです。いや本当に駄文でごめんなさい。

そして、もし私の文章に誤訳や勘違い、事実誤認、知識不足による嘘があるようでしたら、ご指摘頂ければ泣いて感謝します。

それでは。



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・フロスト警部シリーズの今後について、驚きのニュースを小耳に挟んだ。
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